■confluence1



夏島に照り付ける太陽は丁度天辺を越えた頃で、俺の頭上から容赦ない熱をぶん投げてくる。


吹き出した汗が玉になってシャツに吸い込まれそうになるのを右手で拭いながら、誰にも見られていないのをいいことに一歩歩みを進める度、重心を変えては上体を揺らしてだらし無く歩く。
整備のされていない斜面にはこの島特有の夏草と、その間から息を顰める様に咲く小ぶりな花が彩っていた。俺は知らない野草の名もあの人ならば分かるだろうか。
左手に食い込む麻ひもの重みも、これを渡した時のあの人の笑顔を想像すれば心地良く、笑みが漏れる。

勾配の急な坂を砂利を滑らせながら上がっていくと、高低差のなくなった丘の先に丸めた白い背中が見えた。

「コラさん」

俺は彼の名前を呼ぶ。
この名前を希望を持ってまた呼べると二ヶ月前には想像もしていなかったが、この夢のような時間を、俺はどれだけ願っただろう。
再会した時には信じられなくて、何度もその人の名を呼んでは呆れられ、最後には言葉を遮るみたいに抱き締められた。
彼が振り向く。幾つになっても変わらない鈍く光るブロンドの髪が太陽の光を受けて白金に透けている。首にかけたタオルと汗で張り付いたシャツが光を反射して眩しい。
「ほら、これ、あんたに頼まれてた薬。あと帰りに会った青果店のばあさんから」
町から1時間程丘を登ってやっと辿り着くこのログハウスの横には小さな畑があって、この人はそこで自家栽培をしている。
畑の側に置かれている、幾つかの収穫物を乗せた木製のリヤカーの上に新聞と麻ひもで縛ったキャベツを降ろした。

コラさんはすぐに、想像していた通りの笑顔を披露すると諸手を挙げて喜んだ。
「おお!あそこのキャベツでかくて甘いんだよな!」
泥だらけの身体を地べたから引き剥がして立ち上がるとリヤカーに近づき、今度おばちゃんに人参のお返しをしよう。今回は人参が特別上手く作れたんだ。俺もいつかあの店においてもらえるくらいの立派な野菜を作りたいと続けた。

丘の上に立つログハウスからは小さなこの島が一望できる。
夏島の気候に育てられた新緑と霞の先に見える水平線まで。心を洗うような絶景とは裏腹に人を寄せ付けない急斜と岩肌の為か、利便性に欠ける此処には近くに人も住んでいない。

コラさんはこの家から更に東へ10分程先の、燈台の見張りをしていた。








この島に辿り着いたのは今から二ヶ月程前の、太陽が鬱陶しい程に明るい、そんな日だった。


いつものように海軍の偵察部隊を避けて潜水していた際、運悪く大型の海王類の群れに出くわしダメージを負ってしまった俺たちは、特に被害の大きかったポーラータング号の修理の為に逃げ込むように辿り着いたこの島で、船と負傷した船員の応急処置を施した後海岸の裏手に隠し、修理を頼める大工か修繕の材料を探していた。
島の内部は危険性の高い植物や強暴な動物もおらず、新世界の孤島には珍しく温厚な土地柄で、下見を終えた後にはベポたちとそれぞれ別行動を取った。
俺は、海岸からそう遠くない位置にある町の中心街で広場の一角に酷く寂れた煙草店を見つけるとガラス戸を押す。中ではもう随分と長い事運営している個人事業主なのだろう。焦茶色のキャスケット帽を被り白ひげを蓄えた店主が、カウンターで独特の匂いの葉巻を吹かせていた。

「すまない、この島に修繕技術を持つものはいないか。居なければ廃材屋でも構わない。」
煙草屋は俺を確認すると数秒驚いた顔をしたが、吸い込んだ煙をぽっかりと吐き出すと吹かしていた葉巻をガラス製の灰皿に預けた。

「ああ、あるよ。ここから北に降りた先にディスラプティブって廃材屋がいる。小さな島だが、この島の周りにゃどでかい主様がいてな、被害に遭った海賊共が逃げ延びてくるんだ。お陀仏になった船はそのまま廃材屋が貰ってくってんで、廃材は溜まる一方なんだよ。きっと其処へ行きゃ事足りる。」

成る程、この島の者たちはそういった海賊を受け入れて生計を立てているのだろう。そして俺たちも見事にその主様の餌食になったというわけだ。
情報の礼にと、俺は手の延ばせる範囲、カウンター横に置かれる煙草を一箱指差した。

煙草屋は会計を進めながら灰皿に預けた葉巻を拾い上げて口元に戻す。
「あんた、"死の外科医"トラファルガー・ローだろう。」
「ああ…」
"死の外科医"という異名は海軍による表記分けとして付けられたものであり、意識する程のものでも無かったが、七武海入りの際に100人の心臓をくり抜いたこと、その不吉な名前も自分の能力と相まって気に入っていた。
「ここ暫くはあんたの記事ばかりだったからな。すぐに分かったよ。」
「この店には海賊の記事が多いんだな。」
手狭なこの店の壁は、日に焼けた古い記事の上に新しい記事を載せるように、あちらこちらに手配書を始めとして同業者の悪行の数々が新聞を切り抜いて貼られていた。
入ってから直ぐに気が付いた事だが、この店には俺の記事を、それも最近のものを多く貼っている傾向があった。
「逃げ延びた海賊共が商売相手なんでな。それに、あんたの記事が出ていると好んで買っていく人がいるのさ。」
煙草屋の言葉に生返事を返す。それは決して悪い意味では無く、海賊を相手に生計を立てるこの島に、最悪の世代の馬鹿共に憧れる好き者がいるということで、この大海賊時代には珍しくもない。しいていうのであれば、ドレスローザの王権奪還以降の記事から張り出されている事から察するに、あの一件以降のファンという所だろう。

受け取った煙草をジーンズのバックポケットに押し込み、先ほどくぐった店のガラス戸を押した。が、確認しそびれた事を思い出し歩みを止める。
「店を出る前に一つ、聞いておきたいんだが、この島のログはどの位で溜まる」
煙草屋は聞かれるのが分かっていたというように手を挙げ一年以上さ、と笑った。
成る程この島は流れ着いた海賊共にとって最善の、修繕の為の島というわけだ。





店を出た後、煙草屋に言われた通り北に向かう。この島は真ん中に行くに連れて標高の上がる、所謂火山島だった。山という程でもないが、中心に位置する高い丘を見上げれば生い茂る緑の合間に随分と立派な燈台が立っているのが見える。
中心街から暫く北の海岸に向けて下っていくと海岸から10ヤード程の高さの崖の上に、プレハブ工法の小屋が見つかった。
小屋の外壁は煤け、周りの岩肌の間からは手入れのされていない夏草が生い茂っていて、直接的な言い方をすれば小汚い。真面な人間であれば近寄り難い雰囲気を漂わせていた。
俺は開かれたままの大きなシャッターを潜る。

正面の入り口は崖を登らなければ辿りつかなかったが、小屋の中は岩の大きな割れ目を上手く使い海からの海水をそのまま引いていて、外から見れば小屋といっても、海面から天井までの高さを考えれば大型の帆船を十分に収容出来る広さの上、奥には幾つかの立派な機材が揃っていた。
その機材の近くで、声を張り上げ周りに指示を出す男が目に入る。

「ディスラプティブって廃材屋はあんたか。」

「ディスラプティブは俺だが」
「町であんたの噂を聞いて来たんだ。この島の近くで俺たちの船が襲われた。」
「ああ、主様のな。ここに来る奴らは大体そうだ。」
「修理を頼みたい。」
「町で聞いたろう、此処は廃材屋だ。修理はしねえ。」
「修繕技術はないのか。この島にはよく海賊船が辿り着くんだろう。」
ディスラプティブといった男の対応は、良くも悪くも最初に感じた印象の通りだ。大柄な巨体をこちらに向けもせず、目の前の仕事から手を離さない。
「んなものは無えよ。俺たちは修繕の効かねえくらい大破した船を看取っては出来た廃材を海賊に売る。それだけだ。」
男の言い振りは嘘を付いている風でもなく、これだけの機材を揃えているのだから大工がいるのではという俺の期待は外れたようだ。

「新世界の孤島にしちゃ、珍しいな。」
俺は嫌味のつもりで言ったが、仕事に追われる人間には汲み取れなかったらしい。
「稀にガレーラの奴らが顔を出しにくるが、いつ来るとも知らねえし、悪い事は言わねえ。奴ら政府と関わってるってんですぐに軍を呼ばれるぜ。現れたら見つかる前に帰るこった。」
「ウォーターセブンの奴らが?」
水の都のガレーラカンパニーがここまでくるのか。トムズワーカーズの開発した水上列車の話しくらいは、フレバンスにいた頃にも流れてきたが、あの街は今も政府に睨まれたままなのだろうか。

「分かった。廃材をもらうだけでいい。幾つか見せてくれ。」


奥へ案内されると一度小屋の外に出され、外壁を回って岸に出られた。

小屋を通さねば辿り着けないそこは廃船島かと言うほどの廃材の数で、中には壊し切れずに形の残っているものもある。
その様相は俺が入団を希望した一時期、ファミリーが拠点を置いていたスパイダーマイルズのようでもあった。
ガラクタの山の隙間を歩きながら廃材屋が大まかに振り分けられている材料の置場とその目安となる金額について提示してくるのを流し聞きながら、ポーラタングの修理に使えそうな材料を確認する。
「あんたの船ももう走れねえなら俺が引き取ってやるぜ。」

その時、先ほど俺が案内された入り口から長身の男が片脚を引き摺りながら入ってきた。

「よお、バート!」

ブロンドの髪を持った男が廃材屋へ親密そうに片手を挙げる。



その声、白い肌、高い身長。
よく似た人間もいるものだと思った。
「お?接客中だったか」
警戒心もなく近づいてくる。見ればその男は確かに俺の恩人に似ていた。

あまりに、似過ぎている。

「…あれ……」
男が廃材屋の横に立つ俺の顔をみて声をあげた。高い位置にある男の目は、俺の顔を見つめて離さない。
俺は余りの事に声が出なかった。
いや、出そうという気さえ起きなかった。
今自分の眼の前で何が起こっているのか理解出来なくて、どこからか罠か、幻術にでもかかったかという疑いが思考を覆う。

「お前、ロー…?」
片足を引き摺った男の唇が動くと、吐き出されたそれは、俺が記憶に残す恩人の声と重なった。

身動き一つ取れない俺を他所に男は俺の肩を掴んで叫ぶ。
「だよな!お前、トラファルガー・ローだよな!俺のこと分かるか?随分昔の事だから、覚えてねえかもしれねえけど」
何を言っているんだ。
俺の身体に刻み込んだあんたの証を見せてやりたい。この腹の中の物をぶちまければどれだけ俺の中にあんたがいるのかを教えられるのか。

俺が、見間違うはずなどない。
これまで一度として忘れた事もない。
俺が生きて起きる事の事象全てがこの人のおかげで、俺の指標で、俺の、
「ロー…なんだよな。新聞でドレスローザの記事を読んだんだ。俺、お前に謝らないと」

「コラさん…」
やっと出た音は声というにはあまりにも情けなくて

「あんた……本物なのか…」
自分で言っていて可笑しい。本物なわけがない。彼はあの日死んだ。俺を生かす為に。
神に近しい彼を思う余り幻覚にでも侵されたか。偽物だと言ってくれという気持ちと、もしこのまま本人だと言われたら間諜を疑って殺してしまいそうだという暴力的な考えに襲われる。

彼はただ
「覚えていてくれたのか」と笑った。
少し皺の増えた彼の笑顔は、それでも思い出と全く変わらなくて、ただ、それだけで、俺の心が溶けたみたいな気すらした。
「その名前で呼ばれるのも懐かしいな。今はドンキホーテ・ロシナンテとしてこの島で一般人を…」

俺は彼の存在を認めるのが怖くて、ゆるゆると伸ばした手がコラさんのカフスを掠めただけで涙が溢れた。

この人はこの島で生きていて、他人の空似でも亡霊でもないと分かると、前述した通り俺は彼の名前を呼び続けては縋るように泣いた。
泣き崩れる俺を前にコラさんは狼狽えて、廃材屋は何が何だか分からないと言った風に、腕を組んで俺が泣き止むのを待ち続けた。




その数分間二人には大層格好のつかない姿を見られてしまったが、落ち着いて話しを聞くと、半死人のコラさんをミニオン島の医者が診てくれたそうで、1年程ミニオン島の病院に寝たきりだったそうだ。記憶も曖昧、体の自由も利かないまま、長く迷惑はかけられないとミニオン島を出た先でこの島に流れ着き住居を構えた。後遺症等について、左足は全く動かないというわけでも無かったが痺れが残っているのだと、
記憶が確かに戻ったのはドレスローザでの新聞記事を読んだ時。俺やセンゴクに連絡を取りたかったが、この島には碌な通信手段が無いため連絡を取れなかったことを、ひとつひとつ追って、丁寧に説明してくれた。
廃材屋のディスラプティブ・バートンにまた改めて選定に来ると伝えると、俺はそのままコラさんの自宅だというログハウスに案内された。
あの後の13年間をたった一日で話し終える訳も無く、ざっくりとした経緯のみを話し終えた頃には外の陽も暮れかけていて、
泊まっていけと言われたが、海岸に残してきた船員のことを伝えると、コラさんは様々な食材を詰めたナップザックを俺に渡し、何か手伝えることがあれば言ってくれと言った。

俺は海岸に戻ってから、廃材屋があった事とこの島のログが溜まるのは一年先という事、恩人に再会出来た為数日船を空けさせてもらいたい旨を船員に伝えた上で船長判断として長期の滞在を指示させてもらった。
そして、今。


「早速昼飯にしよう。」
彼は手にしていた収穫鎌をログハウスの横に設置されたウッドデッキに置き、泥で汚れて、既に元の色も分からなくなった布製の手袋を外すと、リヤカーに置いたキャベツを脇に抱えて俺の肩を叩いた。



オーソドックスな足拭きを跨ぐとログハウスの中は壁をぶち抜いたような簡素なワンルームだ。ベッドは勿論、メインテーブルから個人用品の棚、オープンキッチンというには開け広げ過ぎているのではというほど。脱衣所と手洗いを除いた全てのシステムがこの一部屋にまとめられている。
これではプライバシーも何もないと思うが、俺が来なけりゃこの人は一人だったのだから、燈台守の独身男の家としては最適か。
ベッドサイドの壁には幾つかの"ハートの海賊団"の記事が並んでいた。

彼を追って部屋の左に設置された調理場に入る。彼は一人用の冷蔵庫を漁って材料を吟味しているようだった。
「キャベツとベーコンのキッシュにしようか。鮭とばもあるんだ。」
「なんて?」
ある程度出した食材をそのまま流し台の上に置いて彼はサイドに置かれたオリーブオイルを取ると二、三度それを振った。
「スモークサーモン、スコッチと合わせると美味いぞ。今朝漁師場で食べてたオヤジさんから譲ってもらったんだ。」
キッシュにサーモンにスコッチか。味を想像しただけで、この年になっても食欲旺盛な俺の腹が鳴る。大食漢の俺と長身のこの人であれば多少多めに作り過ぎても食い切れるだろう。
手際よく進めているように見えて胡椒を倒したり水を止めるのを忘れたりしている彼の行動にフォローを入れながら調理を手伝う。こんな下らないことで俺が能力を発動する姿など、この人以外には見られない。
「漁師場?この辺りには海王類が生息してるんじゃねえのか。」
この島に進入することは勿論の事、海に出るのも同様に難しいのだと思っていた。
コラさんは持った卵の殻を割りながら空いた片手で窓の外を指差す。外には綺麗な海が広がっていた。
「お前達が停めた海岸とは別方向になるが、ここからぐっと南に漁師場がある。」
俺も詳しくは知らねえから、もし出航の事で気になるなら直接聞くといい。

俺はコラさんと二人で炊事場に立ちながら、明日の早い時間に降りてみようと思った。








朝日も上がらない時間、コラさんは東の燈台へ煙を焚きに。俺は南にあるという漁師場へ向かう。
煉瓦で埋め立てられた足場に降りると、そこは確かにヨットや帆船の錨が下されている小さな防波堤を持った港だった。船着場では数人の男たちがもくもくと煙を上げる焚き火台を囲んで、暇そうに魚や貝を食っている。
先ほど早い朝食を食べたばかりだが、旨そうな匂いに腹が鳴った。

「兄ちゃん見ねえ面だな。」
「この間から丘の灯台屋に世話になってる。こんな海を持った島に漁師場があるってんで来てみたんだ。」
「おお、ロシナンテさんとこの。」
潜伏していた時のように声を殺す必要の無いコラさんは誰とでも馴染めるようで、この町の人はみな彼の名を出すと微笑んでくれた。
それがどれだけ大切な好意かくらいは俺にも分かる。
この島が彼に幸せをもたらしていることが、俺にとっては何より嬉しい。
座るか、と漁師道具の入った木箱を俺の方へ引いて差し出されたが、長居するつもりは無いので断った。

外の者は物珍しいのか、立ったままの俺を引き入れて漁師たちはこぞってこの島の話しを始めた。
「前の燈台守がポックリ逝っちまった後な、誰も寄りたがらなかった丘に住んでくれて、俺らが一番世話になってんだ。」
あそこは食材一つ買いに降りるのも一苦労だろう。魚なら幾らでも持ってってくれよと言われる。彼がサーモンを貰ったのはこいつらかと思っていたが、この島の漁師は皆こうしてコラさんに分け前を渡しているようだ。



「随分と暇そうにしているな。」
あーもう準備は済ませちまってっからなと吐き出す男たちの口から言葉と共に白い煙が溶けた。
海はまだ朝日の差し込まない紺の空を鏡のように反射させている。立ち並ぶ何隻かの船を見れば全て帆船だった。モーター式の船は今も多くないから、小さな島の漁船なら帆船で当たり前だ。こんな風のない朝には身動きも取れまい。

「こういうのを"海が死んだ"っつーんだよ」
コラさんの所で世話になっていると伝えても、俺が海賊だとは知らないのだろう。海の知識なら俺にもあるが、得意になって話す彼等に恐怖心を抱かせる必要もないのでそうかと返す。
温度差の関係で起こるこの状態は、潜水艇の俺たちにとっては水上での闘争を避けるまたとない機会で、凪はそれこそ、コラさんが俺を守ってくれているようだと思っていた。
主な海賊船も、海兵の船も帆船で動く。海に出る者にとって風は重要な力だ。

俺は死んだ海への対処法を徒然と語る漁師たちを遮って本題に入ることにした。
「何故海王類はお前達の漁船を襲わない。」
まさか回廊石がこんな島にあるわけもない。その理由を聞き出さないことには、俺たちはこの島を出港することすら出来ないのだ。
「そんなもん、善人は襲わねえと分かってくれてんだろうよぉ」
だから主様って呼ばれてんのさ。
なんて、男達からは碌な参考にもならない返答が返ってくる。
不服が顔に出ていたのだろう、漁師は俺が海賊か流れ者だと気が付いたのか「海に出る心配か」と聞いた。
俺は頷く。
あれだけの大群に出くわすと、思って居なかった。
普段なら無闇に近付かないよう気を張っているが、ドフラミンゴを打ったという意識から何処か抜けていたのだろう。まだ四皇も残す現状だというのに、俺の不注意で船員を危険に晒した。元から海王類の存在を意識していれば10体や20体を相手にすることも不可能ではないが、長い船旅の中出航時に必要以上の体力を消耗したくはなかった。


漁師は口にしていたスコッチを足元の煉瓦に置き、手で水平線を指差しながら説明してくれた。
「ここいら一帯はあんたの言う通り特大の海王類が生息してる。おかげでこの島にたどり着く海賊は既に満身創痍ってのが殆どで、それによってこの島は守られてる。海王類の行動範囲は広いが、安全区域もある。奴らはあまり島に近い位置には来ねえから俺たち漁師はその範囲で漁をしてんだ。大体、あの大岩の辺りまでだな。」
漁師屋の指し示す物を追うと此処から凡そ40ヤード程先に俺の拳大の大岩が見えた。
「あとはもう一つ、一箇所だけ海王類の往来が少ない場所があそこの岬を超えた先だな。ここからじゃぁ見えねえが、岩が幾つも立ち並んでるんで海王類は好き好んで行かねえ場所だ。島の者が外に出る時は勿論、造船所の奴らや政府が見回りにくるのも其処を使ってる。」

「それでも絶対に安心ってわけじゃねえ。少し進路を間違えれば暗礁に乗り上げちまうし、稀に海軍の船や海賊船が滑り込んだ海王類の餌食になってる。だが、この島の者が沈められたことはねえ。理由までは俺らも分からねえが、だからこそこの島の者にとっちゃ守り主みたいなもんってことだ。」

漁師たちの言葉は今度こそ此処に来た甲斐のある内容だった。
座礁を軽視するのは確かに危険だが、航海術に長けた船員がいる為問題は無いだろう。
海王類に意思があるのかどうかについて、深く考えたことはなかったが、そう浅い歴史でもないだろう島の者たちの意見であれば信憑性は高い。出くわす可能性といっても海王類の一匹や二匹ならば出航には問題なさそうだ。
助かったと伝えると、500グラム程の、数個貝の入った網を土産にと持たされた。ロシナンテさんにと一言付け加えられて。

「風、吹くといいな。」
「もうあと半刻もしねえうちに吹くさ」




「ほれ」

ゆるゆると、鏡のような水面を撫でた風が、俺の不精に伸ばされた前髪を揺らし始めた。
なるほど。この島の住民が一番よく、この島の気候を熟知しているのだ。

俺は風の往来に狂喜する前髪を一房、指先で捕まえて正した。




南の海岸からぐるりと、指定された岬の下見をしながら裏手まで回って洞窟に入ると、ベポ達に出航の手筈を伝えたあと、ログハウスに戻る途中で最初に情報をくれた煙草屋で新聞を買っていく。
丘を登る途中、藁で編まれた手提げを持って降りてくる少女とすれ違った。彼女が丁寧にこんにちはと声をかけたので、俺もそれに答えるようにこうべを垂れる。時刻は昼を過ぎていた。

整えられて尚急斜の坂と岩肌を越えてやっと辿り着いたログハウスのドアを新聞を持って入ると、広いオープンリビングのメインテーブルには見慣れない綺麗な花が置かれていた。
「どうしたんだ、それ。趣旨変えか?」
俺は手に持っていた新聞をコラさんに渡すと上着を脱いで入り口に置かれた木製のハンガーラックに無造作に掛けた。
コラさんはコーヒーの入ったカップを持ったまま椅子を引くと腰を下ろす。
「プロポーズされたんだ」
「は?」
あまりに突然の事だったので、一瞬言葉の意味を理解出来なかった。事もなさげに彼の口から放り出されたそれは、海軍の大砲よか俺に衝撃を与えた。
プロポーズというと結婚を視野に入れたお付き合いだったか。普通は男からするものだと古い考えを持っていたが、近年の女は積極的なようで感心する。
しかし、俄かには信じがたい。この人と過ごした二ヶ月の中に女性の影が見えなかったからだ。彼女、もとい婚約者がいるのであれば、これまでと同じように入り浸るのは迷惑かもしれない。
彼は俺が渡した新聞を読まずに机に置くと、婚約者から貰ったんだという花を優しそうに見つめた。
その行動が多少不服ではあったが、好いている人からのプレゼントであれば浸るのも仕方ない。
「どんな女なんだ」
二ヶ月の中で紹介してくれなかったことにも少なからず俺は機嫌を損ねていたので、意図せずキツい声色になった。
「とびきりの美女」
コラさんは花から目を逸らさず跳ねたトビウオみたいに笑った。
その笑顔が、13年前の俺に笑いかけてくれた笑顔と重なる。

この人の魅力を理解してくれる女性が隣に立つ姿を想像する。この人にとってこの島は、そんな幸福まで運んできてくれるのか。








翌日、またコラさんは東の燈台に煙を焚きに行った。俺は同じ様に太陽の登らないうちから町の裏手を回って海岸に向かう。
裏手の海岸には岸壁が大きな洞窟とも、凹みとも取れる緩やかなカーブを描いていて、俺たちの海賊団は丁度その洞窟に船を隠し、担当を分けては修繕と潜水の確認作業をさせている。
ログハウスから歩いて洞窟に着く頃には金色の眩しい朝日が穴の中に差し込んでいた。

カモフラージュの為に張った入り口の木を掻き分けて中に入る。

「おかえりなさい」
今日は5名程残したクルーをペンギンが取り仕切り調整を見ていた。みな一様に挨拶をしてくるので片手を挙げて応える。
「いつでも出航できます。」
この島の主とやらに受けたダメージはかなり大きく、修繕には時間を要したポーラータング号の点検も、廃材屋の協力の元二ヶ月が経ちようやく済んだ。潜水確認を3度済ませ、修正部位も無いとの報告を受けたのが昨日の夜だった。

ポーラータングの船板に触ると潜水作業後の水は乾いていて、海水の冷たさを拾った鉄特有の温度があるだけ。
もう4年近くこいつで旅をしている。この新世界の中で大きな外傷もなく、よく働いてくれているクルーだ。海賊の船なんざ酷使の度合いにも寄るが、早い奴らは半年と経たずにぶっ壊してしまうというのに。
それでも持って、あと1年という所か。

「いつまで持つか。」
「俺たちの大切な仲間ですから。」

出来る限りこいつで旅を続けたいですよと続けたペンギンは、自分たちを乗せて回る仲間を帽子のつばの奥で見ていた。


2017.03.03

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