■confluence2




島に雨が降っていた。

俺は湿っぽいログハウスの中で、ベッドの上に横たわり身を起こそうとするコラさんを支えていた。
「いってえ」

昨日の夜、燈台に火を灯しに行った際、雨に濡れた階段で転げ落ちたこの人は、帰りが遅いことを気にして俺が見に行かなければどうなっていたかわからない。入り口で倒れているこの人を見かけた時には本当に肝が冷えた。
傷の具合をみようとかそれ以前の問題で、心臓の止まりそうな思いの俺は一も二もなく駆け寄った。
あの高さから落ちたのだからまあ無理もないが、打ち所が悪かったと言うのか不幸中の幸いというか、気を失ってはいるが、大きな外傷と言えば落下中に引っ掛けたのだろう、脇腹を擦って血が滲んでいる程度だった。
もう少ししっかりしてくれとか、心配で島を離れられねえとか色々言ってやりたかったが、巨大な彼を肩に担いでログハウスまで運び応急処置とスキャンで致命傷の無いことを悟ると、あとはもうみっともなく体を震わせて俺はこの人が目覚めるまでベッド脇のウッドチェアで手を組み続けた。

あんたの横たわる姿を見て俺がどんな思いだったか、心配なんてものじゃない。またこの人を失うのかと、近づいて無事を確かめるまで生きた心地もしなかったことを責め立ててやりたくて。白いベッドに沈む彼の幸福そうな寝顔が疎ましかった。


目が覚めたばかりのコラさんは不用意に持ち上げた体に痛みを訴えたので俺はすぐに彼の傷を確認する。強く打ち付けた身体は軋むだろうが、骨折などはしていない。

階段から落下したのだと伝えると、ドジったなあと零した後
「舐めときゃ治るよ」
コラさんは丈夫なんだぞ。と笑ったが、俺はその態度に無性に腹が立った。

「そういうのを甘く見てっから跡が残るんだ」

腹が立ったのは、この人を守れない自分にだ。
この人の丈夫さは言われずとも、助けられた俺が確かに理解しているつもりだったが、流れた月日と痺れの残っていた足や、あの日のダメージを残した身体の負荷にまで考えが及ばなかった。


前線を遠のいた彼は、13年前より確実に弱っていた。

それは重ねた年齢の問題でもあり、何より身体に残すあの日の傷跡の所為だった。


傷跡なんざどうでもいいと真面目に受け取らないコラさんに幾つか不満をぶつけた上で、足の経過と合わせて診るからと、彼をベッドの端に座らせシャツを脱がせる。
陽に焼けていない白い肌に手を伸ばすと、一般人として昔より筋肉の落ちた彼の肩は幼い頃の印象より随分と細く感じる。
12.3歳の頃、俺はこの背に守られていたのだ。

彼の背中にはドフラミンゴに撃たれただろう致命的な5発の銃痕の他にも幾つかの傷跡が合った。古くくすんでいる痕はファミリー在籍時のものか、海軍での戦闘で受けたものか俺には分からない。
一つ一つ丁寧に確認していくと、左の脇腹の辺りで俺の手が止まる。
丁度心臓の下を刃物で抉りつけたような跡。
巨大な殺意。この人の事を何も知らなくて、ただ理不尽にぶつけた俺の憎悪。
ベッドの上に座るこの人の背中をなぞる指にあの日の後悔や悪意と言った熱情が漏れそうになって、口を結んだ。そんなものはこの人を気負わせるだけだ。
今前を向いているこの人は、きっと過去も清算しきっているのだろう。無用なことを振り向かせたくない。

「終わったぞ。」
彼の体をスキャンして、異常の無いことを確かめてから軽く肩を叩いた。
俺はベッドから降りて広げていた包帯の片付けに手を伸ばす。
彼は確かめるように患部に手を添え数回撫で付けると、小さく振り返って「ありがとう」と零すと、また笑った。



雨のカーテンがこの島を包む。
昨日の夜からさんさんと降り注ぐそれは町の色と温度を奪い、海へ。

「雨、今日は上がりそうもねえな。」

処置を終えたコラさんは品のある赤い刺繍のラグに脚を添えたウッドチェアに腰掛け、ペーパードリップから滲み出た焦げ色を視界の隅に置きながら、はめ殺しの窓に掛けられた小窓用のカーテンに手を掛けて呟く。彼の声は部屋に溶けた。
夏島とはいえ、日の陰ったこんな日には部屋中に冷えた空気が我が物顔で横たわっていて、彼の肩にかけたセーターにもいつの間にか袖が通されている。

雨粒が叩きつける度ガラス戸が揺れる。
風は緩んだ木枠を叩いて、風雨の奏でるオーケストラに、俺たち二人は耳を傾けた。

古い型なのか将又何処か壊れているのか、合間に聞こえる豆を挽く音が煩いと指摘したら、彼は普段はサイレントをかけているのだと言った。かければ良いと言えば俺がいるのに勿体無い。話をしようと言われ
俺はこれまでの航海の中から彼が体験した事もなさそうな、選りすぐりのエピソードを抜き取ってはもう一人の"D"の海賊団に所属する鼻屋よろしく、壮大に話しを盛ったハートの海賊団の冒険活劇を聞かせてやった。
その間彼は、小さく積み重なった雫が、やっと、彼の手には些か小さ過ぎる白の簡素なコップに5分程溜まったそれを膝に置き
息を零すみたいに笑っては口元に運ぶ。

俺の話しが、救出にきたシャチの握った蔓がくちなわの尾で、巨大なそれに追いかけ回された話しでひと息ついた時も、彼はそのカップを手に暖を取っていた。




この人と、ずっと一緒にいられたら、どんな自分だっただろう。
海賊にもならず、後遺症を残した彼を庇いながら、こんな平和な島に隠れて医者にでもなったろうか。

ーーーードフラミンゴの脅威に怯えながら。




過ぎ去った時よりも、今俺の眼の前で息をして笑う、この人との時間を大切にしたくて。
頭の中で先日ペンギンと決めた出航日までの日数を数えた。

ドォンと、地鳴りと共に一際大きな音が上がって俺は話しを止める。
「なんだ」
「海軍か海賊の船かな。」
確かに、また何処かの船が主の餌食になったのかもしれないが、この急斜では土砂崩れの危険性も捨てきれなくて、外の様子を見る為ウッドチェアを立って風雨で抵抗のあるドアを開ける。

だがその先は、ただ世界を染める白が凄まじい力を強めていくだけで、近くの草木や丘に大きな変化は見られなかった。
軒下からも、その上からも地にぶつかった雨が水とその姿を変えて、下に、下に。
轟音と共に砂利を押し退け小さな川を作っては、その先の大海を目指して急ぎ走る。
目線をそのままに流れを辿ると、行き着いた先は俺たちの愛する大海だ。今は、豪雨の中白く濁って見える。落ちて流れて海へ統合され、その後上空に溶けるお前たちの命は変わらないのに、何をそんなに急ぐのか。

「雨、入るだろ」
身体を起こしたコラさんが俺に声をかける。冷たい空気が身体を冷やしたかもしれない。
「ああ」
俺が戸を締めると、もう一度、ドォンと大きな音を立てて地面が揺れた。今度は聞き間違うはずも無い、大砲の音だった。

「やっぱり今日は止みそうもないな。」

俺は彼のそれが、この雨の事を言っているのか、外から聞こえ始めた戦場の音を指しているのか測りあぐねていた。







翌日、町には新たな海賊が疲弊した様子で流れてきた。
















その日の夜、俺はコラさんに一緒に行こうと誘われ東の燈台に向かっていた。

ログハウスから更に坂を上った先にある燈台は、一昨日は気がつかなかったが、近くで見ればそれは立派な石造りの燈台だった。
小さな島とはいえ岬に立つのが基本の燈台の中で丘の上というのは珍しい。
この島自体が小さく、小さな山一つ程だからかもしれない。島の一番高峰に立つこの塔は、まだ海王類がこの島に住み着くずっと昔に島民で作ったものだと聞いた。
白く塗られた燈台が暗闇に怪しく浮かび上がっている。その入り口に、数日前に落下し力無く横たわる彼の姿がフラッシュバックして顔を顰めたが、気にも留めずに進んでいくコラさんを追って俺も門をくぐる。
見上げると中の螺旋階段は随分と長く続いていた。一体どれだけのドジをかますとこれだけの長さを転がり落ちる事が出来るのか教えてほしい。
足が不自由なのに、何もこんな所に家を持つことはなかったろうと思う。


階段を登りながら、この燈台が民間の運営であること、火を焚く時間等を教えられた。
近年では海軍の監視下にある港が増えているが、レッドラインを越えた新世界では、政府の目の届かない民間の燈台も多い。
それでも、これだけ立派な燈台を立てているのにはこの島独自の理由があったのだろう。
前管理者は知らなかったようだが、街の煙草屋に聞けば分かるかもしれない。

階段を上がり天窓を押すと、そこは四方を白い岩で囲われた円状の広間だった。
コラさんは中心部に設置された灯篭に火を灯す。

暖かい火がゆるゆると燃える。
陽は、丘を登るうちに沈みきっていた。世界を吞み込む暗闇にこの光は何処まで届くのだろう。


「新聞でお前の記事を見た時は、あんまりデカくなってるもんで、びっくりした。」
そんな暗闇に、コラさんが突然言葉を落とす。
彼は昔ばなしを聞かせるように、静かな声で語り始めた。
「その時に記憶が戻ったんだけどさ。日常生活の中でもゆっくり、一つ一つ思い出してたから、そんな衝撃は無かったんだけど、やっとピースがはまった時にはすっきりして、お前が生きててくれたんだってわかったら安心した。」
もう、半年ほど前になるのか。ドレスローザの記事の載った新聞を抱えて涙を流すコラさんの姿は容易に想像できる。

「長い間会えなくても、俺がお前を思う気持ちは変わらない。」
だからさ、
「雨が川になって海に戻って行くみてえに、俺たちは何処にいても、どんな考えの人生を歩いていようとも、同じだ。」
彼は、何を指してそう言うのだろう。
人間も自然も何も変わらないといいたいのか。んな博愛主義のような持論を唱えられても、俺は頷けない。
「俺は、あんたのそういう考え方が嫌いだ。」
どこまでいっても自己犠牲主義者で博愛主義者だから、あんたやあんたの家族はそうでないドフラミンゴや人間たちに殺されたんだ。

「個人の意見だから、ローが違うものを見つけて歩いてるなら、俺は嬉しい。」

俺はまだ、コラさんの意図を掴みきれていかなかったけれど、コラさんは満足したみたいに向けていた炎から目を離すと俺に向き合った。
「お前はもう十分、色んな人生を見て、聞いて、経験を積んでる。その上でお前が出す答えなら、きっと後悔はしない。」
だから、自由に感じて、自由に生きれば良いよ。と笑う。

彼はドフラミンゴの一件を知っていた。
俺の求めた自由の結果が、あんたの兄を殺したいと憎む程の殺意になったことも、あんたは笑って許してくれるのだろうか。
「それはきっと川合いのように、きっと、人の根本に触れるものなんだ。」
「川合い」
話を進める彼の意図を測りあぐねて、俺は息をこぼすように復唱した。果たしてそうか、そうであろうか。
山から海に落ちる雨が、そして水が、巡り巡っていくように、俺がこの人に再会出来た事も全て同じだというのだろうか。



「俺はお前を愛してるよ。」

この歳になった大の男同士が言い合う言葉としては不釣り合いだが、俺は言われる度コラさんの無償の愛が嬉しくて、素直に彼の低い声が空に溶けるのを聞いていた。

俺は、誰かを独占したいというような、所謂恋愛感情を持ったことがない。
強いて言うならあんたに対しての感情が、この人の笑顔を見たいという願いでも。それだって好意以上のものではないだろう。
この人からの無償の愛と同じように、俺もこの人を愛しているだろうか。

物理的に言えば届くことはないだろうこの光も、この人が灯しているのだと思えば俺は感じることすら出来る気がする。
黒い海から聞こえる波の音が、俺をその先へと呼んでいる。



俺は、海へ出たかった。



コラさんが俺をここに連れて来たいと言った理由が何となく理解出来た気がして、
俺は彼が「寒くなってきたから戻ろうか」と声をかけるまで、切り抜かれた石の枠に腕を置きその黒い海の先を見つめていた。










「俺たちはこのまま、グランドラインを突き進む。」
燈台に登った翌日、朝飯のエッグマフィンを食べている時にコラさんに伝えた。
何時までも此処に残るわけにもいかない。俺たちは残りを半周してレッドラインを超えなくてはならない。
ドフラミンゴを打った今、俺の使命はこれまで一緒に旅をしてくれた船員を四皇カイドウから守り抜くこと。そしてその先にある宝、ワンピースを手に入れることだ。
それが、今の、俺と、俺の仲間達との目標になっている。

「ここへ戻る気は無い。」
コラさんに出会えたことは嬉しかった。でも、ずっと、彼の隣で平和に生きることが俺の望みなのかと問われれば、それは違う気がした。


「あと二週間か」
俺はマフィンを口に運んだまま、コラさんの目を見る。
「意外と時間ねえな」
コラさんはフォークに卵を刺したまま、オープンキッチンのラックに乗せた卓上式のカレンダーに目をやった。
遅かれ早かれ、別れは来る。
「本当はもっと前に決まっていたんだ。」
俺はもう、掲げた海賊旗の船長で、クルー達を投げ出すことは出来ない。それでも、夢にまでみたこの人の隣を離れたくないという思いから暫く言い出せなかった。
彼はその首を小さく横に振ると、顔を上げて俺に微笑む。

「別れは唐突なもんだろ。」

多分、この人は分かっていたのだ。
その上で俺をあの燈台へ連れて行ったのだろう。


この人は、本当にいい人だ。俺はこの人が好きで、もっと、この人に幸せが訪れればいいと思う。

「それまでに、ローの食べたいもんを何でも作ってやるからな。」

そう、どうか、もっと、もっと、この人に幸福を。






その日から、本当にコラさんはあの手この手で要望を聞き出しては俺の望む料理を振る舞ってくれた。

往来ドジなこの人に調理を任せる等出来ないと、最初こそキッチンに立っては口を挟んでいたが
なんてことはない、これまで一人で生きてきた人間で、一介の海兵から中佐にまで成り上がったこの人は、基本動作ならそこまでの危険はなかった。
それでもオープンキッチンの前に置かれたダイニングテーブルに腰掛けて、フォローをするように見せかけながら厨房に立つ彼から目を離さなかったのは、この時間を過ぎた時、また二度と目にすることはないこの人の姿を、自分の心に焼き付けておきたかったからに他ならなかった。






ベッドサイドに腰掛けたコラさんの足の経過を確認して手を離す。
経過は良好とはいえ、無理を強いてきた体だ。油断は出来ない。
「その足、もう少し長く診てやれたらいいんだが」
「なに言ってんだ、ローのおかげですっかり動くようになったぞ!もう坂を駆け下りる事だって出来る。」
「ふざけんな。動くようになったっつったって今ある神経を繋ぎ合わせた程度で、もう死んでるもんは切除しちまったし、健康体とは言えねえんだ。それにあんた、調子乗ったら絶対に転ぶから止めろ。あの坂で転んだら打ち身じゃすまねぇ。」
にこにこと片付けにかかる俺の背中を見ているコラさんは、忠告を聞いているのか分からない。
何か一言投げつけてやろうと口を開けて振り向くと、
「立派になったな」
本当に、ありがとうと笑った。

海賊稼業が立派かどうかと問われれば、そうでは無い。彼の指す言葉が脚の治療に関することなのだとはわかっていても、それは俺の言葉だと思う。この人がいなければ今の俺はいない。
こうしてこの人の治療をすることも、医療の勉強をすることも、飯を食って美味いと思うことも、クルーと笑い合うことも、最悪の世代と謳われることだってなかった。
朝起きて太陽が眩しいと思うだけで、俺はあんたに感謝するんだ。


「今付き合ってる女、俺の船出までには紹介してくれよ。結婚するんだろ。」
器具を片付けた後、相変わらず煩い音を立てるコーヒーメーカーからコラさんの分のカップを取り上げて彼に手渡す。
この人が出航を伝えた今でも俺に紹介してくれないのには何某かの訳があるのだろうが、この島を出る前には一目会っておきたかった。
「え?…ああ、はは」
なにを笑う。恩人の伴侶がどんな人間か見ておきたいという気持ちは何かおかしいだろうか。
「いやあ、難しいだろ。あと10年は後になるだろうから」
「は、10年?」


「お、きたきた。」
彼が朝日の差し込む窓ガラスに目をやった。俺もつられて目を遣るとすぐ後に玄関が二度叩かれた。
「ロシナンテさん」
膝丈の白いワンピースをはためかせて、淡い栗色の髪を胸元まで伸ばしたとびきりの美女が入り口に立っている。その子は、数日前に俺が坂道ですれ違った9歳程の女の子だった。




コラさんはベッドサイドから立ち上がると玄関まで彼女を迎えにいく。
「よく来たな、転んだりしなかったか。」
「私は転んだりしないわ。」

彼は先ほどなんと言ったか。

俺は無礼を承知で彼にエスコートされる女性を凝視した。
随分幼く見えるのに、よくこの丘まで一人で登ってくるものだ。見た目以上にお転婆な娘なのかもしれない。
「ロー、紹介するよ。彼女はレナータ。下のフラワーショップで家族経営をしていて、よく燈台の管理をしてる時に遊びに来てくれるんだよ。今日は一緒にクッキーを作る約束をしてたんだ。」
そういえば昨日の夜にそんなような事を言っていた。まさかこの家で作るとは思っていなかったので聞き流したのだ。
「若い奥さん候補だな。幾つだ?」
「女の子に歳を聞くものじゃないのよ。」
彼女はそう言った後、数秒も経たないうちに俺に駆け寄って袖口を引くとしゃがむように指示した。
俺が腰を曲げると彼女は俺の耳元に手を添えて
「10歳よ。」
と囁いた。
その指先を唇に持って行って内緒だと言う仕草をした所をみるに、彼女の年齢は世界最高峰のトップシークレットであり、コラさんに教えることは禁じ手のようだ。

この島の人たちと交流の深いコラさんは恐らく娘さんの年齢も知っていると思うが、低いヒールの付いたサンダルを履いている彼女は大人びていたいのだろう。
10歳といえば奇しくも俺がこの人に出会った歳と同い年だが、俺ほどスレていない顔は年相応にも見える。
背伸びをするレディに俺はお返しにと先ほどの彼女と同じように耳元に手を当て「あの人の事が好きなのか」と囁く。

え、とか、ええとか数回繰り返した後、彼女は俺の目を見てはっきりと答えた。
「もちろん、大好き。」
頬を染めながら答える姿は、もう立派な恋する女だ。こんな少女まで虜にするとは、なんて罪な人だろう。

俺はそうか、といって彼女の小さな頭を撫でた。
満足そうに微笑んだ彼女がキッチンまで駆けていくと、どこから話を聞いていたのか、後ろからコラさんが顔を出した。
「可愛い子だよな。」

きっとこの人が思っている以上に、彼女は大人として彼に恋心ってやつを抱いている。
俺はよく分かる。
「あんたには勿体無いくらいの美人だな。」

俺は何を思っていたんだろう。




あとは焼き上がるのを待つだけだとオーブンに入れたクッキーの様子をコラさんが見ている間に、彼の奥さん候補はメインテーブルの花の水を替えた後、ポケットからカードのようなものを取り出すと花の中に隠している。
メッセージカードだろうか。メルヘンな思考の、可愛い子だ。きっと、10年もしたら、10人中10人の振り向くとびきりの美人になるだろう。
恋文を挟む少女の肩に声をかける。振り返る警戒心の無い顔が余計に白くみえて、汚れた大人の俺には少し眩し過ぎる。
こちらを向いてくれた少女の目線に合わせて膝を曲げると、怯えさせないように、自然な速度でその細い肩に手のひらを乗せた。
コラさんは軽視しているようだが、10年変わらない思いなんて嵌ってしまえば案外簡単なもんなんだぜ。
「俺にとっても、大事な人なんだ。だから、よろしく頼んだ。」

あの人、抜けてる所があるからな。と付け足せば晴れやかな笑顔で頷かれた。
きっと彼女も、この村の人たちも、俺に言われなくたって同じくらい知っているんじゃないかと思う。そして俺と同じくらい、この人の魅力にのめり込んでくれればいい。
とびきりの美女じゃなくていいから、もしこの人が同性を選ぶならそれでも。子どもでも、大人でもいい。兎に角、この人が笑顔でいられるような人を。この人の幸せを思ってくれる人と結ばれてくれればと思う。







出航を予定していたその日は、ガラスの毛皮を持った航海士の予想通り晴天に恵まれた。海岸まで見送ると言い、まだ薄暗く冷えた部屋の空気を掻いて彼は昔着ていた黒い羽のコートでは無く、モスグリーンを淡く光らせたようなシルクの上着を肩にかけて俺の1歩後ろを歩いた。


何か話せば良かったのだろうけど、後ろ髪の引かれる思いが強まりそうで、俺は何も話さずに歩く。丘を降りる間も海岸の岩肌を歩く間も二人の呼吸の音だけが聞こえた。愛船の前に立つと、俺が振り返るよりも早くコラさんは俺の肩にその上着をかけた。

一呼吸おいて、俺が振り返るとコラさんはログハウスを出てからここまで、ひと結びにしていたその口をゆっくりとした動作で開いた。
「なあ、ロー。お前は俺にとって、幾つになっても大切な子だ。だから、どこへ行くにもこれだけは覚えておいてほしい。」


「お前が何処にいて、どんな決断をしようと」

「俺はお前を愛してる。」



ああ、この人が生きて、息をしてくれているだけで、俺の世界はこれほどまでに輝くんだ。


それからコラさんは、俺の肩に心細げに掛かるコートを正面に引き上げ、俺の左頬に手を添えた。朝露の葉を撫でるみたいにその骨張った長い指先を髪の毛に潜らせて、外周をなぞるように落としてから下顎に残している髭を掠めて宙に浮いたその手を、俺の眼前に突き出すと

「別れの、握手。」

と笑った。

男らしく黙って行けば良かったものを、ここまでしてもらって、格好が付かないったらない。
俺は力強く彼の手を取った。

俺の人生はこれから始まっていく。
彼とは二度と会わないだろう。
それでも、ここに愛を残して行きたい。
強く握り締めた右手をそのままに、あの日彼に言えなかった言葉を口にする。

「ありがとう」


俺の心に沢山のこの人の残してくれたこの土地の土を蹴って、母なる、俺たちの海へと住処を変える。


もう、振り返りはしなかった。











懐かしい潮風が頬を撫でる。
島民に聞いた通りの路を抜けて難なく島を出港した俺たちは、長い休息に別れを告げてここへ戻ってきた。
必要なロスタイムだったとはいえ、俺が平和を謳歌した数ヶ月の間に、世代の悪名共は何処まで船を進ませただろう。

俺たちハートの海賊団の目指す先は勿論、ポーネグリフの導く島。

"偉大なる航路"の最終地点。



最悪の世代?
いいねぇ、最高の響きじゃねえか。
あんたは医者にでもなる俺を想像したか、"D"として変革を起こす俺を期待したかもしれないが。俺は、俺のやりたいことを見つける。

「船長、前方二時の方向に敵船です」
聞こえてくる通信に駆け寄ってきた船員から伸縮式の単眼鏡を受け取って確認すると、遠くに海軍の帆が見えた。新世界を回るには些か小型船な所から見て偵察部隊だろうが、何にせよ島を出て早々に厄介事は御免だ。
「潜るぞ」
俺が声を上げると同時にそれぞれの船員が持ち場に走った。

いつだって水の音が聞こえる。海に出れば、それは。陸に上がれば空から。川や用水路を通って俺たちの文化と寄り添うその膨大な力も自然の与える愛だというなら、その通りかもしれない。
そして俺は自然と共に生きるように、あなたと生きよう。自然を愛すように、あなたを愛そう。
海流の流れが船の後板を押して進む。


山を流れ、川を下り、大海から空へ登る水の様に。俺はまた巡り会うだろう。




「俺たちが数ヶ月振りに出てきたとあっちゃ、カイドウが黙ってないでしょうね。」
ポーラータングの修理も終え、海に出るとなれば海を支配する四皇にはすぐに見つかる。そうすれば闘争は免れないだろうが

「いいじゃねえか。四皇の椅子。」

背後から聞こえる仲間の声が、今の俺の力だ。負けてやる気は更々ない。
「俺たちで必ず奪うぞ。」
あんたがくれた愛を、俺はこいつらと一緒に分け合いたいんだ。

"ひとつなぎの財宝"を目指して。

この心が求めるもの。
安息の地か?違う。
強さとか、憧れとか、要するにガキみたいな
心の踊る、デカい、馬鹿みたいな夢で。

それは俺を駆り立てる。






自由。


2017.03.04

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